- 2010/09/11 12:09
- ギャラリスト虎の穴
みなさん初めまして。光栄にも椿先生にお声をかけられ、このようなブログを担当することになりました「京都の若手気鋭ギャラリスト」(笑)です。自分で言うのはかなり恥ずかしいですが、まあそう思って頂けるのはありがたいことであります。
なぜこのような場に・・・と私自身が戸惑いを覚えずにはいられませんでしたが、おそらく私に課せられた使命は、京都の中でまだ世の中を知らぬまま「ものづくり」に没頭する若き皆さん対し、美術に限らず、これから行きて行く上での智恵(たいしたものは持っていませんが)やアドバイス、アイデアを提案すること。美術に関して言えばギャラリーという作家と世の中の仲介者の立場から、両方と向き合いながら日々感じていることや絶対に知って欲しいことを伝えること。この二点を期待されているものと勝手に感じ、これから少しづつ書いていきたいと思います。
とはいえ情報の早さに関しては皆さんの方がはるかにスピーディーかもしれません。例えば新聞や雑誌・テレビはもはや情報の早さではネットや携帯に圧倒され、次第に姿を消す物も多い中、それでも紙媒体や映像コンテンツでしか伝えられないもの、即ち責任編集のもとに配信されるソフト(ソースとして生のままのものではなく、人の手によって加工されたもの)にこそ、実は見るべきものがあるのではないかと信じています。
だからここで書くのはそういったニュースソースを咀嚼した上での私なりの情報であり、意見です。若き皆さんは情報の坩堝の中でどれを選んで良いのか、あるいはどれを信じて良いのか分からない人も多いでしょう。私もそれについては同じです。一つだけ言えるのは、自分の目で見て、感じたこそは唯一、自分にとっての真実だと言う事です。人が何を言おうと、言葉を流そうと、それは貴方にとってはまだ真実の体験ではなく、行動を起こすきっかけでしかありません。
大学という狭い環境の中で考えることは時に濃密で素晴らしい体験でもありますが、私達の世界からすれば所詮、「井の中の蛙」でしかありません。造形大という井戸、京都という井戸、そして日本という井戸から次第に世界へと意識を向けていくには、しかし今自分が身を置く井戸を精一杯観察し、精査し、それが何かを知らなければそれより大きい井戸へは進めません。進んだとしてもその中で蛙泳ぎして満足するだけでしょう。
皆さんはギャラリーという所に行きますか?
私はもちろんギャラリーを主宰しています。それは空間としての場の事でありますが、しかし最近はそう思わなくなってきました。ゴルフでは観客のことをギャラリーと言います。実はギャラリーということばの意味は非常に多いのです。

(これらの写真はgoogleで「gallery 画像」と検索して出て来た無作為の、そして全く見ず知らずの「gallery」です。)
1 画廊,美術品陳列室[館];美術館;((集合的))陳列[展覧]美術品.
2 (劇場・教会などの)階廊,さじき;(劇場の)天井さじき;(議会の)傍聴席
3 柱廊玄関;ベランダ.
4 採鉱水平坑道;(排水用などの)小トンネル.
5 歩廊,回廊,通廊,廊下.
6 (公共用の)細長い部屋.
7 (通俗的な好みをもつ)一般大衆;((集合的))(ゴルフ試合などの)見物人,ギャラリー;聴衆;傍聴人.
8 写真撮影所[室];(射撃などの)練習場[室]
面白いですね。特に7番の「一般大衆」という部分に根源的な皮肉を感じずにはいられません。
美術画廊と一般大衆は、ギャラリーという言葉一つの中で同居しているのです。それはまさに私が思う今日あるいはこれからの美術の在り方を指し示しているように思えてなりません。
皆さんにとっての美術はどこに存在しているでしょう?
私にとって美術は、少なくともギャラリーと呼ばれる空間の中にしか存在しえないものでは無い=ギャラリーという空間でしか存在し得ないものは美術とは思わない、と考えています。
では今日はこの辺で。初っ端から皮肉れたことを書きましたが、もっともっとひねくれます。画像も無しで読むのがしんどいかもしれませんが、そのうち挟んで行きますので我慢して下さい。
the Gallerist
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京都造形芸術大学 芸術学部 美術工芸学科



































